先日見ていたテレビで「現代芸術の紹介」コーナー?みたいのがありました。
そこで紹介されていたのが錯視アート、目の錯覚を利用したものが紹介されていました。
見ていて「これって芸術なんだ?」と。
番組内では開発した教授が遠近法を利用した...ルネサンスから...と説明してくれてましたね。
聞いてて良くわからなかったんだけど、なるほどなーという感じでした。
それで翌日機械を修理していて製品の変化を見たとき、急に合点が行きました。
ずっとこれまで芸術ってなんだろうという疑問を持っていたんだけど、なるほどこういうことか、と。
先日野焼きで聞いた本原さんの話ともやっと繋がりました。
何かと言うと、多分「科学技術の結果」なんですよ。
これがわかったとき、やっと頭の中に刺さってた小骨が抜けた気がしました。
単純に表すなら、AにBという条件を加えて生まれたものがCとなる。
先日の野焼きの場合だと 粘土(A) に 熱(B) という条件を加えて生まれたものが 焼き物(C) となる。
だから狙い通りの 結果(C) を作り出すには 粘土(A) の状態、 熱(B) の条件を確保し確定する必要がある。
結果、その結果が平面なら絵になるし、立体なら彫刻や焼き物などになるのだと思う。
これを過程を重視して科学の分野でやれば実験。
生み出されたものに価値を見出すことが出来れば芸術というカテゴリーの中に入る。
だから前の人が何をやったか?ということを勉強しなくては、次の段階に移れない。
なるほど、わからんはずだわ。
同時に作品というのはその時代、その地方において「どれだけ技術が浸透しているか」の指標と成る。
だから見るこれは遠近法が生まれる前の時代のもの、これは絵の具などの鉱石採掘技術、運搬能力が伸びた時代などいうのがわかる。
そのために残さなくてはならないし、そのためにしっかりとカテゴリ分けしなくてはならない。
作品はそれだけの価値じゃなくて、遠くから見れば一つ一つがパズルの欠片になっている。
なるほど、だから良く聞く話なんだけど「表現一辺倒で何かをする」っていうだけじゃダメなのか。
その考え方がちょっとだけ理解できたような気がする。
そう捕らえられたら、自分の携わっている仕事がそのまま大きな意味で芸術なんだろうなと思えた。
だって今の時代の科学技術の浸透により得られたアウトプットだもんね。
しかし、だとしたら自分は何を残せるのだろう?
仕事の製品と言われればそれは間違いなくあると思うのだけど、なんて言うかさ。
そのパズルの欠片の中でも「あ、こいつだ」ってわかりたいし、わかられたいじゃんね。
普段引っ込み思案で目立つの嫌いなんだけど、どうせ生きるなら...
と考えたところで、これが芸術家さんの頭の中なのかな?と少し触れられた気がする。
うん、いつかどこかでなんか残せると良いな。
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