2013年6月22日土曜日

視力

私は視力が低いのでメガネが手放せない。

しかし先日、ちょっとしたアクシデントがあり歪んでしまった!
目というのは人の脳が光を取り込み、情報を判別するための道具だ。
その道具の性能がおかしくなり、メガネという道具で補正している。

考えてみると非常に不思議な話でもある。

例えば割れたお湯飲みがあるとしよう。
それでお茶を飲むにはヒビ割れをなんとかする必要がある。
普通ならヒビ割れをなんとか埋めたり、お湯飲みを交換する方法をとると思う。

ただ目は内臓であり、なかなか治療や交換が効くものではない。
ではどうしたかというと...例えるなら割れたお湯のみを大きめのドンブリの中に入れて、そこにお茶を注いでいるような感じだろうか。

お茶を飲むにはもちろん不便だ。
慣れてしまえばどうということはないものの、やはり素直に飲むほうが良いに決まっている。

そう考えると少し前に流行った「メガネ男子」なんかは不思議な現象かもしれない。
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ところで久々にメガネを外していて、ふと面白いなと思うところがあった。

メガネのない世界は単純に視界がボヤケていて、輪郭がハッキリしない。
室内だとわかりづらかったんだけど、外に出たときに「この絵はどこかで見たことがある!」と興奮してしまった。

いや、まあどこかで見たことあるって家の前だからね。
毎日見ている景色ではあるわけで、見たことがあるのは間違いない。
でもなんというか、妙に受ける印象が違っている。

なんだろう、なんか気になるな...頭の中で引っかかってるな...
そう思って考えてみたら、どうも写実主義と印象派の絵の違いに辿り着いた。

先日足を運んだウィーンのレオポルト美術館で見比べた感じに近い。
相方から話は聞いてはいたのだけど、なんでこんな表現になったのか不思議でしょうがなかった。

絵に輪郭を用意しないとは余程の変わり者か天邪鬼か...
とか思っていたのだけど、初めてその技法に気がついた人は目が悪かったのかもしれない。
だから自然と暗い絵よりも明るい絵を描くようになったのかな?と。

いや、いつもの勝手な推測なんで的外れかもしれないんだけどね。
もしそうだとすると、自分の目は凄く贅沢だなとも感じる。

結局はドンブリの中のお湯飲みではあるし、正直メガネなんて面倒くさい。
だけど目の前には写実と印象の二つの世界が常にあり、それを自由に選ぶことが出来る。
視力が良い人と比べると二面性のある世界をしっかり楽しめるのだ。

なのでたまにはメガネを外してボンヤリ歩いてみるのも良いのかもな、と思えた。
予期できないアクシデントもなかなか良い発見になるものだね。

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