2013年7月23日火曜日

歴史の穴

先日のARTOROで炎天下を歩きつつ「何故日本は馬車がないのだろう」と疑問に思っていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%BB%8A

というのも日本は東海道を初めとして五街道がしっかりと整備されている。
それで居て伊勢参りや東海道五十三次などの話から見ると移動がそこそこある”らしい”。

だったらあってもおかしくないのに...何故?

文化的に乗り物が無いのかと考えたけど、人が担ぐ籠があった。
馬が無いかと言うと急ぎのときは早馬を使ったようだし、馬の産地も別に少なくはない。

車輪の導入が遅れていたのか?と考えもしたけれど、大八車などがあった。
ちなみに江戸時代でよく見られた大八車の原形は平安時代には登場しているようだ。
となると技術的にも文化的にもなんら問題がないはず。

そして何より平安貴族は「牛車」に乗っていたから思いつかなかったわけがない。
なのに何故歩くことを選んだのだろう、非常に不思議だ。

これと同じように疑問なのが棍棒という武器。
ゲームをやると良くわかるのだけど、物語序盤を支えてくれる大切で原始的な存在だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%8D%E6%A3%92

日本は森林資源の豊富な国家であることは間違いない。
木造文化もあるし、材料には事欠かない筈...なんだけど、あまりコレと言った印象がないのだ。
一番近いのは棒術で使うものだけど、武器のジャンルとして考えるとClub(棍棒)というよりStaff(杖)に近いと思う。

歴史的にも地域的にも「あっておかしくない道具」がない。
素材的にも文化的にも「手に入りやすい武器」がない。
本来なら「あるはず」のものがない。

この違いは何故起きるのだろう。
歴史の穴というのがどこかにあるのかもしれないけど、不思議で仕方がない。

そう言えば確か第三回の中で「登呂遺跡では武器が見つかっていない」という話があった。

発掘されているのは農具のみ。
争いが少なかったんじゃないか?という話になったけど、よくよく考えてみると農具は武器になる。
硬い素材を使っているし、日常的に触れるものだから扱いに慣れやすい。

だとすれば農業の規模=兵力と素直に考えても良いのかもしれない。

トランプのClubは農民を表すくらいだしね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96_(%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB)

しかし馬車は..どうも日常で代わりとなる存在が見当たらない。
一度は船とも考えたのだけど、山間部も多く流れが急な日本では成立し辛い。
海を行くとしても「多くの中の1つの手段」として捕らえたほうが妥当じゃないだろうか。

もし馬車があれば日本の街並み、発展は大きく変わっただろうに。
同時に車や移動、作業に対する考え方も今とは違ったものになっただろうなぁ...

2013年7月14日日曜日

鉄道事故

フランスで鉄道事故が起きたらしい。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00249852.html

炎天下の飴のように捻じ曲がる車両を見て、その衝撃の大きさを感じる。
私も機械を触る人間の端くれだから、今回の事故を反面教師にしないといけない。

ふと福知山線を思い出した人も多いんじゃないだろうか。

日本で起きた痛ましい事故。
思えばあの日、祖母が広島から大阪へと引っ越す日だった。
家族の中で「もしかして...」という恐怖が走ったのをよく覚えている。

結局事故からは回避できていて一安心。
もう亡くなってしまったが、最期の寝顔が綺麗だったことは喜んでいいのかもしれない。

確か日本もフランスも高速鉄道の輸出をしている。
だからあの時も、今回についても広がる衝撃と言うのは大きく強いものだと思う。

新幹線でもTGVでもない。

ただそれらを支えている技術であることは間違いない。

それを考えていたら精密機械ほど壊れやすいということを思い出した。
調整もこまかく行っているし、校正も掛かっているから非常に正確な数値が出せる機械。
しかし一度狂うと「取り返し」がつかなくなってしまう。

もしかすると鉄道輸出国のフランスと日本とを繋ぐものはこれなのかもしれない。

設備はもちろん、人も消耗するものだ。
より精密な管理は必要だけれど、もし飽和しているのであればいつ事故が起きてもおかしくない。
努力が逆に管理できない、予期できないものを見過ごしてしまう可能性も増える。

顕微鏡で大きな物を眺めているような感じだろうか。
それでは全体像に見えるどこかの狂いが察知できない。

一度設備に対して多くのものが「適正かどうか」を確かめなくてはいけない。

それにはアクセルを緩め、ブレーキをかける勇気も必要になる。
ただそれが出来るのが経営責任者だけなら、それを決断するのも彼らの仕事だ。
水のように湧き出た金を飲み続けるのは詐欺師に任せておけばいい。

私は私でこの事故を受け止めて、色々と教訓にしたいと思う。
そして願わくば「エンジニア」という存在について、もうちゃんとした少し目が向けられたら...と。

2013年7月12日金曜日

ARTORO参加記録 第三回目検地

今月のARTOROは「田んぼの面積を測ってみよう」ということでまずは田んぼへ向かいました。
http://toro-museumshop.jp/artoro

...しかし暑い、暑い、暑い、暑い。

今年の夏は本気で我々を殺そうとしてますね。
それほどまでに日差しは強く、照り返しはきつく、風も吹かずに体力だけを削ってくれました。

で、田んぼで検地。

今回出されていた宿題は「1歩を60cmにすること」でした。
でも色々あって考えて煮詰める余裕が無かったので勘に頼りました。

大体廊下の幅が83cmだからドアがこれくらいで...肩幅と比べると...

とか言いつつ、側溝の蓋を参考にしたのはナイショです。
http://www.maruei-con.co.jp/catalogue/015/007_jis.htm

検地が終わったら登呂遺跡に帰還。

途中の公園で子供が汗だくな私たちが列を成して歩いてるのを面白そうに見ていました。
多分彼女たちから見ると蟻と変わらなかったのかもしれないですね。

帰還してからはこの前植えた水田も検地。

田んぼの中にはデカい貝、おたまじゃくし、ザリガニなど色んな生物が居ました。
どれも外来種らしいんだけど、まぁ普通の都市圏で1万年前の環境が残ってるなんてことはないですからね。
これもある意味では自然の1つの形なんじゃないかと思います。

ザリガニで少し盛り上がってからは発表会。
...なんですが、何よりエアコンの素晴らしさに脱帽しましたね。

VIVA、文明の積み上げ、文明の利器。

発表会は初となる討論式?みたいな感じで気になるところを幾つか聞けたので良かったです。

しかしやっぱり移動、輸送などをどうやってたかが気になりますわね。
だってさ、仮にちょっとずつ採ったにしても結構な量になると思うんだよね。
その日の分だけならわかるけど、それだと他の疑問も出てくる。

昔の登呂遺跡はもっと川辺だったから船が一番確率高いはずなんだけどなー。
なんも論拠も証拠もないのが痛いところだ。

そう言えば炎天下を歩いていてふと疑問に思ったんですよ。
日本は街道がある程度整備されてるのに何故馬車が定着しなかったんだろって。

ある程度文明の発達していた江戸時代なんかも基本的には徒歩。

車輪が無かったのかと言うとそうではないみたいだし、平安時代には牛車もあった。
なのに何故そういう考えが出てこなかったのか、もしくは定着しなかったのか。
それとも別の何か、代わりとなる存在があったのか...?

ただその存在があれば、色んなものが今とは大きく変わってたのかもしれないですね。

町の作り方とか、人の動きとか、農業についてとか。
ちょっと新たに思考を巡らせて見ようかな、と思った第三回でした。

ビィールで乾杯

毎日JPにこんな記事が載っていた。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130628k0000m070099000c.html

公開期間が越えてると見れないので解説するとこんな感じ。

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昔、福沢諭吉が「西洋衣食住」という本で酒について語っていた。
その中でビィールについて少し詳しい文があり、そこではビィールの苦味について語られている。
多分諭吉さんは日本の夏とビィールの相性の良さに衝撃を受けただろう。

近年若者がビィールを「苦い」と言って飲まないが、指導したい。

若いと苦いは似てるだろ。
年取ってこの美味さを理解できるようにならなきゃいけない。

じゃぁいつ飲むか?今でしょ。

きっと迷惑がられるだろうな。
若いときはこの苦味と向き合うのが大人の儀式だったのにな。
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...怒られないようにかなり端折ってます。

言いたいことは良くわかりますね。
私もビールが飲めるようになったら大人!という意識がありました。

子供のころもよく正月に「おうお前も飲むか?」なんて言われました。
試しに泡だけ舐めてみるんだけど撃沈し、苦い子供の顔を見て大人が笑う。
こんな風景はどこにでも転がってたような覚えがあります。

私は悔しかったので特訓しました。
とは言っても酒なんて飲める年齢じゃないですからね。
なんとか身近なもので代用しました。

当時は丁度、缶コーヒーにブラック無糖や微糖などが出始めの時代。
まさに渡りに船でしたね。

もちろん最初は苦痛の連続。
でも「吐き出すのはカッコ悪い」と思って日々飲み続けました。

これと時期を同じくして秋刀魚のワタなどにも挑戦していきました。
最初は大根おろしまみれにして苦味を消し、徐々にワタの比率を上げて行きます。
缶コーヒーと同様「吐き出すのはカッコ悪い」と思い、日々挑戦し続けました。

結果的に現在、ビールもコーヒーも秋刀魚のワタも美味しくいただけるようになりました。
でも「飲めよ食えよ」とはあまり強制したくないですね。

苦手な人は苦手でも構わないと思います。

実際私も全てのビールを受け入れてるわけじゃないですからね。
どうもスーパードライ系の妙な辛口は未だに苦手...
http://www.asahibeer.co.jp/superdry/

逆に好きなのは下のような感じです。

ハイネケン(オランダ)
http://www.heineken.com/jp/home.aspx

ザ・マスター(日本 アサヒ)
http://www.asahibeer.co.jp/the_master/

よなよなエール(日本)
http://www.yonasato.com/

エビス(日本 サッポロ)
http://www.sapporobeer.jp/yebisu/

クラッシック(日本 サッポロ北海道限定商品)
http://www.sapporobeer.jp/classic/index.html

プレミアムモルツ(日本 サントリー)
http://www.suntory.co.jp/beer/premium/index.html?fromid=beer_top_pc

もう少し外国のビールに詳しかったら格好つくんですけどね。
基本的にスーパーに置いてあるものしかわからないのがちょっと残念。

毎日飲むには少し価格のハードルが高いかな...

だから「とりあえずビール」じゃなくて「今日はビール」で飲みます。
基本的に好きなものを美味しく楽しめる分だけ飲む、というのが一番だと思います。
料理も同じで、特別苦手なものを無理して食べる必要は無いんじゃないかな。

興味を持つのは正しいことかもしれないけど、それを押し付けるのは道理が通らない。

選挙

http://agora-web.jp/archives/1547039.html
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選挙は昔から見てるのが好きだけど、いつも疑問に思うことがある。

走りまくる街宣車からは「●●でございます」と名前が聞こえてくる。
でもその人がどんな人で、何をやって、何をやろうとしてるのかがわからない。
今でも大半の候補者はそんな感じだと思う。

それで何を選べというのだろうか?

10年ほど前だけど、近所でやってた某党議員の演説を聞きに行ったことがある。
ちなみに足を運んでるのは私1人だけだった。

その人はチラチラと私を見つつも、さも大勢居る観客に声をかけるかのように演説していた。
目の前の1人に集中して話してみれば熱意とか意見とか伝わるかもしれないのにな、と残念に思っていた。
最後までじっくり聞いていたのだけど、結局終始そんな感じ。

だから某党が芸能人使いたくなる気持ちもわからんでもないんですよね。

それほど政治家さんが人を引き付ける力に長けてないし、そもそもそういう技術が無い。
私がもし選挙出るなら、少なくとも数年は劇団にでも入って色々と習得してからだろうなと思った。

いや、そんな予定は微塵にもありませんが。

確かアメリカは演説の原稿、立ち振る舞い、スタイルなど全てが管理されているらしい。
政治家という1つのチームに対する評価になるため、みんな全力なんだろう。

ヨーロッパはどうなんだろうか。
詳しくし聞いたことも無いのでわからないけど、なんとなく人の資質や考えで選んでる気がする。
なんとなく表現するなら腕の良い技術者を選んでるようなイメージ?

では名前を連呼するのが中心の日本は何を伝えて、何をしていきたいんだろう。
そのために何をしていく必要があるんだろう?

汗を尊ぶのはご尤もだけど、もう少し近代的な考え方になる必要があると思う。
日本の進む「正しい道」はそこにあるんじゃないかな。