2013年6月16日日曜日

コッツウォルズ

先日、BS日テレの「世界水紀行」という番組を見ていた。
http://www.bs4.jp/w_mizu/

最近のテレビは綺麗だ。
そして画面が大きいからこういうゆったりとした旅番組が凄く映える。
BSだけじゃなくて普通の地デジもこういう感じになってほしいな。

今、素直に「わくわく動物ランド」とかやったら面白いのかもね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8F%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

それはさておき、水紀行。

今回の旅はイギリスのコッツウォルズだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BA

実は新婚旅行でウィーンと最後まで争ったのがここだった。
水が綺麗だし自然は多いし、この長閑で静かな景色を二人で味わうのも良いな...と考えていた。

今や足を運ばなくてもネットで雰囲気が伝わるような時代。
動きや音を連れてきてくれるテレビなら尚のこと、そこに行ったかのような気分になる。
だから見ていて「やっぱり素敵だな」と感じた。

歴史や文化を紹介されながら、その見事な景色を見てまどろむ。
その中で、私は何故か不意に違和感を感じた。

テレビに映る景色、歴史に憧れを感じている自分。
だけど、今私がそれを感じることが出来るのはテレビという文明の機器があるからだ。
それが無ければ私はここに触れることも、憧れることもできなかった。

言い方を変えると遠い国の私が触れられるものではなかったから。
知りえることがなかったからこそ維持されたものでもある、と。

文明化というのはある程度、文化や歴史、景色などを否定することで成し得る物。
私のところまで情報が届くまで、私が心地良く感じるまで多くの否定があったのだろうな。

そう考えたらその矛盾が妙に気になってしまった。

ウィーンでも感じたのだけど、文明と文化、歴史や景色はなかなか共存が出来ない。
共生することはできるが、その意味合い、姿形をそのまま変えずに過ごすのは難しい。

何よりその景色もそうした変化があって生まれたものだ。
変化を否定してしまえば、それらの成り立ちすらも否定せざるを得なくなる。

そこで多くの矛盾に支えられた世界に対し、うーん...と考え込んでしまう。

今とは一体どんな存在なのか。
文明という生き物に少し尋ねてみたい気がした。

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