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登呂遺跡の水田跡から粘土を採取する作業。
しかしながらこれがまた難しい。
粘土までは10センチほど掘り返す必要があって、土を除去するのに一苦労。
次に到達した粘土を穿り返すのにまた結構な力が要ることがわかった。
現代にはスコップがあって良かった!と思う反面、これがないときはどうやって取ってたのだろう?と小さな疑問。
私たちの近くで取ってた東京から来たという親子さんは鉄製のものが壊れていた。
当時は鉄器がまだないはず。
また青銅器も高価だったような記憶がある。
ってことはやっぱり木の農具を使ってたのか?
でもここで少し疑問がある。
木の農具を作るのって鉄や青銅ほどじゃないけど、結構大変な労力だ。
となると石だろうか?
土を掘り返すだけなら重量がある石は使えると思う。
けど相手が粘土の場合だと、逆に堅くなってしまうような気がする。
仕事の性質から考えると削り取る必要があるだろうから、石でやる性質の仕事なのだろうか。
うーむ。
そんなことを考えながらボーっと考えながら本原さんのオランダ紀行の話を聞いていると一つヒントがあった。
何かと言うと「レンガの土を二つの川が運んで来た」というお話だ。
水田には水路がつき物で、登呂遺跡にも当然それがある。
川がレンガの土を運んでくるのなら水路が運んできてもおかしくはない。
それにもし溜め池みたいなものがあれば底に沈殿するだろう。
当時は清掃があったかどうかわからないが、もしあったとしたら大量にかきだされる。
しかも柔らかい状態で、水で洗われたような綺麗な状態だ。
また当然晴れた日に清掃が行われるだろうからその場で太陽による自然乾燥が行われる。
乾燥した砂の横には溜め池や水路があり、豊富に水が手に入る状態だから、自然と粘土を作れる条件が揃う気がする。
しかも特に道具は必要ないし、柔らかい状態なら木の農機具や石器などでも十分成り立つ仕事だろう。
となると、やっぱり粘土は水路近辺で自然と生まれたものなのかな?と思う。
実際のところどうなのかはわからないが、考えるきっかけにはなりそうだ。
東京から参加した中学生の女の子。嗅いだことのない濃い土の香りにめまいをおぼえたそうです。あ、ミミズもいたし、笑。
返信削除近くでやってたんですが、張り切るお母さんと凹む娘さんの対比が面白かったですw
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