2013年5月26日日曜日

パンツの有り難味

年末だったかな?
テレビでビートたけしさんがこんなことを言っていた。

なんでパンツを有難がるのか?
大事なのはその中身のほうだろう!

嗚呼、確かに。

...と納得できるのだけど、同時に「何故パンツを有難がるのか?」という疑問が生まれた。
考えてみると凄く不思議な価値観だ。

女性が下着を身に着けるようになったのは、昭和初期。
東京にあった白木屋デパートの大火災が切欠と聞いている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B1%8B_(%E3%83%87%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88)

火災が起きたときにハシゴ車で救助する時、当時の女性が下着を付けていないことから恥ずかしがり、救助が遅れた。
それがニュースになり、下着(パンツ)を身に付けるようになった...というなんともゴシップ風の話だ。
もちろん事実無根という話もあるようなので「これが理由」と断定できない。

でも今回は、もしそのエピソードが本当なら?という仮定で話を進めてみよう。

下着のパンツは男女問わず性器を隠すものだ。
だからたけしさんのいう大切な中身というのはその性器ということになる。

白木屋の一件では中身の露出が問題になったからパンツで保護されることが推奨された。
逆に考えると「パンツは見られても良い様に広まった」ということでもある。

なのでパンツが見えて恥ずかしいと感じるのは本来、とても不思議な感覚なんじゃないだろうか?

そう言えば欧米人は確か下着を有難がる文化はないと聞いたことがある。
実際にどうなのかを良く知らないものの、確かに下着ドロボー的な話を聞いたことがない。
ググって見た限りでは、確かに日本的な犯行らしい。

うーん...何故だろう。
だってそこには「中身」がないんだよ?

と考えたところで、ふと、ある出来事が思い浮かんだ。
それは昔、母が良くお歳暮とかで貰ったものを綺麗に、大切に開けているシーン。
不思議だったので理由を聞いてみると、こういう答えが返ってきた。

包み紙も後で使えるし、大切なのよ。

あぁ...もしかしたらこれかもしれない。
外国のドラマとか映画ではプレゼントの袋はビリビリ破いていた。
日本でそれを撮るとすると、余程切羽詰ったシーンになるんじゃないだろうか。

だとすれば日本人は包み紙を大切にする。
もっと強い言い方をすると中身ではない、そこに価値を見出す人種ということになる。
当然、中身のないパンツという包み紙に対しても興味を持つだろう。

なるほど、パンツを有難がるのは高級な包み紙を有難がるメンタリティと同じだったのか。
そう思ったとき、自分の中で凄く腑に落ちた気がする。

だからもし街中で目が自然と追ってしまっても、それは文化的に間違っていないのだ。
むしろしっかりと教育をされていると考えても良い訳で、日本人的には胸を張って誇るべきことかもしれない。

ただ私はやっぱり中身の方が良いなと思うけど。

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