2013年5月28日火曜日

原始欲と発電

2011年3月11日14時46分18秒、東日本大震災が発生。
日本は揺れた。

それからしばらくして福島第一原発の事故が確認された。
もしかするとそれは地震や津波よりも「大きな揺れ」だったのかもしれない。
安全という神話が根底から崩壊するほどに。

あれから2年経った2013年の現在。
日本で動いてる原発はほんの一握りとなり、多くの施設は停止している。

多くの人が一夜にして「原子力とは危険である」という認識に変化していった。
現在は原子力を巡って幾つかの派閥が別れている。

・それでも原子力発電所は必要だという推進派。

・危険は理解できるが現時点では必要であるという容認派。

・危険だから停止すべきであるという否定派。

私の意見は容認派に含まれると思う。
というのも正直言った話、代わりが見つからないのだ。

よく話題に出るソーラーや風力などはどうか?

所謂「再生可能エネルギー」を推す動きもあるけど、それができるなら最初からやっている。
それに海外ではどうかわからないが、少なくとも日本では天候に左右されるため出力が安定しない。
なのでそれらはあくまで電源の補助と考えるのが妥当だと思う。

現在の主力である火力は?

エネルギーコストがかかるのと環境への影響が大きい点は忘れてはいけない。
そもそも原子力が(名目的にも)推奨されたのは外部環境への影響が少ないからだったと思う。

原子力も昔は「魔法の技術」だったのだ。

オール電化の考えも原子力の安定供給があって初めて成り立つ。
火力はピークに合わせて調節をするが、原子力は稼動し始めれば一定の出力を保てると聞いたことがある。
そのため消費の少ない夜間はただ電気を作って捨ててるだけの状態になる。

それを活用したのがオール電化...という話らしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%9B%BB%E5%8C%96%E4%BD%8F%E5%AE%85

確かに昼間使うエネルギーを夜間に安く賄えれば消費者も得だ。
電気会社としても収益ゼロだったものが一定の価格で販売できるから利がある。

珍しくどちらにも非がないWin-Winの関係という状態。
ただそれを推進した結果が現状と考えると、なんだか複雑になってしまう。

実際原子力の安定供給により一層の工業化の推進、発展が進んだことは間違いない。
また電気自動車や使われてるバッテリーなどの新規分野の開発への影響も大きいと思う。

だから以前から危険性自体は指摘されていたが、時代もその発達を望んでいたと考えるのが妥当だろう。

現在は急にブレーキがかかってしまった格好になっている。
特に極端な否定派は「原子力のない時代に戻りたい」という意見があるようだ。
酷い話だと電気エネルギー自体を否定する考え方になる。

原始欲、とでも言えば良いだろうか?

それ自体は理解できるから否定しない。
実際私も先日やった土器作りで「原始の生活」に興味を持ったからね。
ただ実際の問題として考えるとそれを推奨するのは難しいと思う。

もしそれを進めるなら少しずつ、人に不要なものを取り外していく必要がある。
それにはシンプルに生きれるように、生活とは何か?という概念から考えていかなくてはいけない。

よくミツバチが居なければ人類は4年もたないという話を聞く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E7%BE%A4%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

電気も彼らと同じで、存在をゼロにしてしまえばそれを根底とした全てが崩れてしまう。
だからあまり極端な方向に走ってしまうのは良くないのだけど、それを行わせてしまう恐怖感というのがあるのも理解できる。

遥か先の遠い目で見れば歴史の転換点に居ることは間違いないと思う。
だからこそ焦らず、騒ぎすぎず、冷静な目で向き合う必要がある。

原子力はもう「魔法の技術」ではないのだから。

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