2013年5月28日火曜日

ウィーンへ行って食べたものはみんな妙に固かった。

パンもそう、肉もそう、ケーキもそう。
だけど不思議だったのが噛んでても飽きない。
私にはこれが凄く不思議だった。

というのも日本食。
主に米に関して言うと、噛んでいると気持ち悪くなってしまうからだ。

もしかしたら本当の美味しさに触れてないからかもしれないけど、私はどうも苦手。
なので、どうしても少なく噛んで直ぐに飲み込もうとしてしまう。

主食で比べるとしたらパンになるのだろうか?
ではパンはどうだったかというと、噛んでても別に問題はなかった。

ホントに小さなことだけど、私にはこれが凄く不思議に感じた。

米が苦手な理由はある程度わかっている。
私は「おかゆ」が苦手なのだよ...

小さなころは病院生活が多く、よく病院食を食べていた。

当時の病院食の主力と言えば重湯やお粥などの「溶けた米製品」だ。
それらとあまりに多く接していたため、食べると具合が悪く感じられるようになってしまった。

この減少が口の中で起きているのだろう。
だから良く噛むことで米が徐々にお粥状になっていくのが耐えられない...

主食ということを考えると随分と厄介なパブロフの犬だ。

そう言えばパンと米とを比較したときに主食としても大きな違いがある。
前者は練り物を加工したもので、後者はそのままを加工したもの。

これは鰯で言うとツミレと刺身くらい別の物なのだと思う。

だから咀嚼についても理屈に若干の違いが出てくる。

パンは小麦を一度粉にしている。
ようは口の中で行う咀嚼の「磨り潰す」作業を予め行っているのかもしれない。
だから実際には噛み砕くというより唾液と混ぜ合わせる作業になる。

逆に米の咀嚼は口の中での粉砕作業。
磨り潰しながら唾液と混ぜ合わせるという2つの工程を同時に行っている。

これを踏まえると「米を炊く」というのはこの作業の効率化から始まったのかもしれない。
味や栄養という側面からも考えられるけれど、まずは柔らかく、摂取しやすくすることが必須になる。

またこの理屈とナイフやフォーク、箸を使って魚や肉を解すのも同じかもしれない。

西洋食と和食で大きく違うのはその破壊力だろうか。
ナイフやフォークであれば両手で食材を分解することが出来るためある程度固くても成立してしまう。

箸の場合、片手のみを使うためナイフやフォークほど力がかけられない。
その上咀嚼における仕事量が多いため、回数を減らす必要があったのかもしれない。
そのため、食品を柔らかくするようになったのだろうか。

また調理によって味付けが濃く、ハッキリしたものになったため、長時間の咀嚼に適さなくなったように感じる。
西洋食で言えばハンバーガーやサンドイッチなど、ファーストフードに当たる食事にはこの傾向が強い。

なので忙しいのも理由にあるけれど、日本人の食事時間が短くなるのは必然的だったのかもしれない。

逆に西洋食は行動を分担して、より咀嚼しやすくするため固さが残った。
咀嚼を長く行うために味を薄くした結果、素材の個性が比較的バラバラに存在している。

それを基本にしたため、交易が進んだ今でこそ美味しい料理が食べられる。
しかし、もしかすると香辛料などが手に入りやすくなるまでは大変だったかもしれない。

なるほど、だったらそれが金と同じ価値があったことも頷ける。

もしかすると「美味いものを食わせろ」という理由で世界中を蹂躙していたのかもしれない。
被害者の視点から見れば非常に迷惑な話だが、加害者もまた必死だったのだろう。

という話を朝食のときに考え、1人で納得をしていた。

ご飯をゆっくり食べられたからこそ、感じることが出来た話なのだろうか。
詳しくはわからないが、どちらにせよ、食事というのは文化・文明の結晶とも言える。

ゆっくりと自然に行いたいものだ。

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