粘土を作ってみる。
今回は特別な粘土を使わせてもらえた。
話によると、一応どこの土でも最終的には粘土状になるらしい。
小学生みたいな反応だが「へぇ~」と思った。
というか昨日(2013年5月19日)は完全に小学生に戻っていた。
粘土をこねるのもそのとき以来ぶりだし、土粘土というのは触ったことすらない。
しかも粘土を作るなんてことはやったこともなければ、これまでの人生で考えたことすらない。
触れるすべてが新発見!というのは先日のウィーン旅行に引き続いて。
うーむ、非常に希少で貴重な体験が続いているな。
で、粘土を作ってみる。
灰色の...灰?みたいな土に水を混ぜてこねる。
粘土になったものが指にまとわりつくのが気持ちよくて気持ち悪い、不思議な状態。
本原さんは「パン作りと同じ」と言っていたが、なるほど結果的に違えど他のものと過程は同じなのね。
こねる、水を足す、こねる、こねる、水を足す...と延々と続ける。
どこまでやって良いのかわからない。
...というか、どこまでもやっていけるような気がする。
もちろん「土と向き合う」というところまでは行ってないものの、この無限さは心に残った。
どこまでやって良いのかわからないからこそ、どこまでもやっていける。
陶芸家に限らず、物を作るの楽しみってこういうところかもしれない。
自分が納得するまで何度でもチャレンジが出来る。
触れていると少しずつ欲が出て、一歩一歩階段を上がっていく。
奥底からどんどん何か、変な汁というか波がドバドバ...なるほど、これは面白い。
器を作るときもそうだったけど、粘土を作るときに「止め」と言われてもみんな真面目に不真面目。
私を含めて手を止める人がほとんど居なかった。
終わってみれば閉館時間。
ということで簡単に後片付けをして、宿題を戴いてこの日は終わった。
なんだろう、第一回にして「この企画は面白い」と感じる。
同時にもしかすると昔の人達のほうが人生面白かっただろうな?とも思う。
色々と不安定で不便で、今から考えると凄く面倒くさいだろうけど、発見が凄く多い。
発見が多いってことは工夫が出来るってことでもある。
それは同時に自分が無限の中の一部として生きることかもしれない。
うーん、凄いね。
0 件のコメント:
コメントを投稿