2013年5月20日月曜日

ARTORO参加記録 第一回目土器作り その2

http://toro-museumshop.jp/artoro

粘土を採取した後は葉っぱを採取する。

理由は本原さんのサイトにある動画を見ていたのでわかっていたのだけど、実際にそれを使うと、それまで考えていた以上に面白かった。
http://motoharareico.com/

天然のロクロは滑る滑る。

まぁそもそもロクロ自体、それほど使ったことはないので比較はできないのだけど。
ただそれにしても「確かにこうやって使ってたのかもな」と感じるほどには凄く使いやすかった。
粘土をコネながら本原さんから1つの疑問が出てきた。

昔は机がないと思うんだけど、どこでやってたんだろうね?

ああ、確かに机がない。
机の代わりになる場所っていうと、やっぱり地面の段差なのかな?

うーむ、非常に不思議である。

そう言えば縄文土器の時代って土にくぼみがあったような覚えがある。
家の中がへこんでいて、そこに挿して使っていたとか...

それじゃそこじゃないかな?というのが今のところの考えだ。

土器に合わせるように穴を掘っていたって最初は思っていた。
でもそれって面倒くさいよな?伝統なんて言葉がない時代にイチイチそんなことするかな?

動物というのは自分の体に適した、自分にとって合理的なことしかしない。
だから一見して彼らにとって面倒くさそうなことはしないし、環境変化に伴う必要性がないと動かないと思う。
人間もかつては動物に近い動物だったと考えると、面倒な路線は全て不正解な気がする。

となると、一回掘った穴にあわせて作るのが一番楽だろう。
もしかするとあれが人類としては最初の型(カタ)だったのかもしれない。

講習でも話題に出ていたのだけど、確かに縄文土器ってメラメラした見た目になっている。
それなら多分火の見える場所に穴があって、燃え上がる火を見て作ってたんじゃないかなという気がしてくる。

もしかして縄文人的にはスケッチだったりして?

でも...うーん、そうなるとどうやって器になっていったのかがわからないな。
くぼみを使うってことはその時点で既に「器」としての機能を理解して求めていたってことになるもんね。
その前を考えないと、どこでどうやってやってたかっていうのは出てこないと思う。

歴史を考えるって面白いけど難しい。
難しいけど面白い。

2 件のコメント:

  1. 縄文時代は、狩猟採取で生活していて、自然はコントロールできない脅威だったから、モチーフとして「炎」があったんじゃないか?と山梨県立博物館の学芸員さんが話していました。絵画でいえば、縄文土器=具象、弥生土器=抽象かな。

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  2. なるほどー。焼き物が出来るくらいには火というのが身近な存在だったのかな?と思いまして。

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