2014年2月10日月曜日

原発

都知事選が終わったので、原子力発電所の是非について冷静に考えてみる。

原発は言わば”魔法の技術”というべきだろうか。
一度設備を稼動させれば多くのエネルギーが絶えず生まれ続ける仕組みだ。
しかも暴走さえしなければ環境に対する負荷も大きくない。

だから受け入れられた時代は今と違って環境問題が切迫していたと記憶にある。
今のように進んだ燃焼技術も浄化技術もなく、火力発電所から立ち込める煙に苦しんでいた。
私自身は小さくて記憶に無いが、喘息という症状が体には刻まれている。

多分、某国のPM2.5なんかの問題はこれと同じなんだろう。
それを止めるには一見だけでもクリーンな技術に頼る他ない。

原子力が出てきて何が変わったか?というと、一番は多くの人を支えられるようになったことが挙げられる。
”ランプの精”に苦しめられた人々には心地良い空気を与え、強い光は暗い夜道も照らすことができた。

その結果、高出力で安定したエネルギーは東京のような超文明都市を作り上げていくことになる。

また”魔法”は昼夜問わず安定した出力を発しているのも特徴的だ。
工場は24時間稼動できるようになり、コンビニやファミレス、ファーストフードのように夜間のサービスも現れた。
そして物質化したエネルギーは昼夜を問わず流通網を賑やかしている。

もしかすると人に直接関わる部分としてはこの働き方の問題が一番大きいのかもしれない。

さらに電力は余ったエネルギーを電力会社は夜間電力として販売しはじめた。
オール電化などがその最たるもので、文明はより電気エネルギーに依存する方向になっていく結果となる。
またインターネットも普及し、昼でも夜でも地球の裏側の情報までもが簡単に手に取ることが出来るようになった。

このように産業や文明とこの”魔法”は簡単に切り捨てることができない。


しかしそれによる問題も生じていることも確かだ。

例えば時間の区切りが明確でなくなってしまったことから雇用形態に大きな影を落としている。
言い方を変えれば、いつまでも働かされる状態を作り出してしまったということだ。
そのため人は”魔法”により交換が出来る歯車に近づいた。

そして東京のような一極集中型の都市を育ててしまったことは大きな問題だと思う。

現在、東京には約1300万人の人が住んでいると言われている。
オランダが1600万人と近いから比較対象にするが、大凡19分の1の面積でその人口を賄っていることになる。
しかも近隣には千葉(600万人)、埼玉(700万人)、神奈川(900万人)など、準ずる都市がある。

簡単に計算してこの狭い地域に約3500万人、オランダの倍以上の人間が生活しているわけだ。

ということは電気以外にもそれだけの規模を保つための食料、水などが必要となってくる。
もちろん排出する物質も多く、それらを提供、移動し続けるエネルギーもなくてはならないものとなる。
都市化により確かに生活は高効率化したが、恐らく人が与える環境負荷は試算すらし辛い規模になっているはずだ。


ではこれらの前提がある上で原発の是非を考えてみる。

歴史的な流れや技術的な必要性という入り口に関しては間違いなく是と言えると思う。
もし”魔法”現れなければ”ランプの精”により人の住める場所ではなくなってしまっていただろう。

雇用を含めた生活の快適性という点でも入り口は是と言えるかもしれない。
ただその後、それをどう運用していくか?という文化寄りの視点で眺めてみると非という観点も現れる。
刃物というのは使い方を考えなければ自分を傷つける結果になってしまうということかもしれない。

そして最後に環境負荷という部分ではどうだろうか。

文明の発達に寄与した分だけ極端な都市化を進めてしまい、技術の発展以上の負荷を生んでいる。
残念ながらこれは単に福島の原発から発する放射性物質だけの問題ではない。

しかしそう考えると結局は技術を人がどう使うか?という一点の問題のような気がしてくる。
安定したエネルギーを極端にではなく、安全な規模で、安定的に使っていくことが出来れば良かったのだろう。
だがそれには人間や文明の持つ潜在的な意思、本能という部分をコントロールしなくてはならなかった。

言い換えればどこかに理性という質の良いブレーキが欠けていたことが問題とも言えるかもしれない。

今回、超文明都市の脳を決める選挙の争点が原発の問題になったのも1つの流れと見ることもできる。

ただ単純に悪とすることは簡単だが、今ある”魔法”をどう終わらせるかという問題がある。
また魔法の代わりをどうするのか、再び”ランプの精”に頼るのか、別のエネルギーを探すのか。
それとも文明と決別して別の道を選び生きていくのか、考えることは多い。

それらについてもっと長く時間を使い、多くの極端でない論議をしていかなくてはならない。
技術の価値自体に是も非もない、結局はそれを使う「人の意思」なのだ。

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